音楽

諸井三郎って・・・・

 諸井という苗字でまず思いつくのはコメンテーターとしてテレビ出演もし、少し前に亡くなった経団連の諸井虔、またこの方の弟で現代音楽の作曲家として有名な諸井誠ですか・・・・そして、このお二人の父親が今日の話題の諸井三郎。秩父セメントの創業一族でお金持ちのご一家です。三人に共通するのはサッパリしすぎた髪型(笑)・・・・遺伝でしょうね。

 諸井三郎は日本音楽を語る上で欠くことのできない作曲家であり音楽評論家でありましたが、この人の凄さは、まともに西洋の芸術音楽に取り組んだところにあります。諸井より前にも例えば山田耕作なんかがわずかに交響曲やオペラを作曲したりしていましたが、基本的にそれらは日本の民族音楽に根ざした、いわば国民学派的な内容のものでした。ところが諸井三郎は純粋に音の芸術として捉え、がっちりとした形式感のある楽曲を作っていったのです。

 5つの交響曲、2つのピアノ協奏曲の他、室内楽やピアノ曲などのすべてが「ガチ」な音楽らしいです。らしい・・・・と言うのは私自身、聞いたことがあるのが「交響曲2、3、4」「弦楽6重奏曲」など僅かしかありませんから。と言うかコンサートの演目にはまず上がりませんしCDも私の知る限り4枚しかありませんので・・・・

 しかしてその音楽ですが交響曲など一見難解かつ重厚でとてもカッコいい響きがします。えっ、当時の日本にこんな音楽があったのかって感じです。特に第2交響曲のもつ焦燥感とか第4交響曲の躍動感なんか強烈なインパクトがあり個性的です。同時代のショスタコーヴィチやピストンなんかに引けを取りません。日本のクラシックがただの猿真似でないことの証明ともいえます。どうしてこんなすばらしい作曲家の作品をもっと国を挙げてレコーディングしないのか?まったく理解に苦しみます。

 文化庁もアニメの殿堂に躍起になるばかりじゃないと思いますがね・・・・

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カンビーニって・・・・

 モーツァルトの伝記を読んでいると、ある共通の傾向が気にかかります。それは、彼の人生に関わるイタリア人音楽家がごく一部を除いて概ね「無能」であるということです。ううん、これってチョイ意図的で民族差別っぽいと思うんですがね。

 まず有名なのがサリエリ・・・・モーツァルトの才能に嫉妬して毒殺した張本人と言われ続けてきました。ただ今ではこの説を信じる人はあまりいません。二人目が神聖ローマ皇帝の前でピアノ競演したクレメンティ。モーツァルトはこのときのライヴァルを「右手の動きは大したものだが所詮機械屋で感情がない」などと酷評してます。

 そして三人目の無能者はジュゼッペ・マリア・カンビーニでしょう。カンビーニといえば、実は我がボッケリーニとその盟友マンフレーディ、そしてナルディーニと一時期「トスカナ四重奏団」という名の楽団を組んでパリで一世風靡した人です。カンビーニはボッケリーニたちがスペインに去った後もパリを離れず、当地で死んだともオランダに渡って死んだともされています。ご多分に漏れず晩年は没落したため、最期すらよく解かってないのです。

 さてカンビーニはある罪で疑われているのですが、それはモーツァルトの作った協奏交響曲を彼の才能を妬んで故意に紛失させたと言うものです。モーツァルトが父親宛の手紙にそう書いています。そして急遽代わりに演奏されたのはカンビーニの作品でした。これが事実かどうかはサリエリの場合と同じく解明されていません。ただしサリエリの事件以上に信憑性を持って語られているのは事実です。

 カンビーニのCDはほんのわずかしか出ていません。交響曲と協奏交響曲、管楽五重奏曲、弦楽四重奏曲の数曲を聴いてみると、特に弦楽四重奏曲など構成も大きくボッケリーニばりの堂々たる音楽です。ことにメロディーの美しさはフランス趣味でしょうか、まったくクセがなく自然に耳に入ってきます。恐らく欠点と言えばその耳心地のよさが逆に個性を見出しにくくしている点くらいでしょうか・・・・ただしこれももっとカンビーニを聴きこむチャンスを得られるのなら解消される問題かもしれません。100曲以上の弦楽四重奏曲や80曲の協奏交響曲の大半が眠ったままですから。

 カンビーニの罪・・・・私はその音楽を聴く限り、モーツァルトの言いがかりじゃないかと思ってしまいます。その音楽からは自信のない三流作曲家のイメージはありません。そして仮に無実だとして、そのことでカンビーニの音楽が不当に評価されてきたのだとしたら、それこそ逆にモーツァルトの罪ではないかと思ってしまいます。いずれにせよ勿体ないですね、聴かず嫌いは。

Photo_2

カンビーニ画像UP!

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ヴァンハルって・・・・

 さて恒例(?)の困ったときのクラシックネタです(笑)

 ヨハン・パブティスト・ヴァンハルという作曲家、この人もいつもながらの古典派の人なんですが、交響曲を聴いてみるとスゲーなぁと思わせる人です。実は前述のディッタースドルフに師事した事もあるんですが(ディッタースドルフより年上ですが・・・・)、早期に稀な才能を開花させ、交響曲をはじめ協奏曲、室内楽、オペラなど多種の作品を精力的に作り、それを楽譜にして出版することで生計を立てた最初の作曲家とも言われています。ところが後援者の一人との間に金銭問題が生じ、それが原因で「うつ病」になって断筆してしまいます。それが40歳前後のこと。その後、病気は寛解しますが、世俗音楽は書かずひたすら神に捧げる宗教音楽のみを作曲し生涯を終えます。

 この人、音楽の都ウィーンに住んでいました。折りしもモーツァルトもウィーンで生活を始め、ハイドンも頻繁にウィーンを訪れています。病気の合間を縫って、この2人とも親交を深めていたようです。ディッタースドルフを含めた4人で弦楽四重奏を楽しんだと言う話も伝わっています。

 さて、交響曲ですが、この時代の人にしては短調を好んで使ったようで、録音の機会を得るのも短調の曲が中心です。で、その中身ですが、オーケストレーションも多彩で迫力があり、まとまりもあります。同時期のハイドンやモーツァルトに引けを取らない堂々たる音楽です。そして誰よりもベートーヴェンを髣髴とさせる部分があり、実際ベートーヴェンの先生でもあったらしく、ウィーン古典派の正統なんだなと思わせます。もしあと10年、いや5年でも病気の発症が遅れていたなら、間違いなくハイドン、モーツァルトを凌駕する大作曲家として名を馳せる事ができたのではないでしょうか。

 ヴァンハルの作品は彼が精神を病んだあと、徐々に忘れ去られ現在に至ります。また病気の折、自筆譜を破棄してしまったりしたため、真偽や作曲年代が定かでない曲も多く、未だに決定版の全集がありません。そしてなにより彼の人気が今ひとつ出ない本当の理由は・・・・そう、その肖像画が、結構、坂上二郎っぽいから?なんて言ったら失礼でしょうかね(笑)Photo

小太郎ねぇ~!

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ボッケリーニって(2)・・・・

 ボッケリーニについてもう少し書いてみたくなりました。興味のない方は飛ばしてください・・・・

 ボッケリーニには「ハイドン夫人」というニックネームが付けられています。事典などで調べるとボッケリーニを矮小化した蔑称である風なことを書いていることもあり、いやそんな書き方自体女性蔑視じゃないの?なんて少し呆れてしまいます。で、まあ昔のことなので、確かに蔑称のつもりで付けられたのかも知れませんが、この人の音楽を聴く限り、このニックネームは実によく特徴を言い表しているな~と思ってしまいます。

 ボッケリーニの音楽は多弁です。そしてころころと気分が変わります。笑ったり泣いたり興奮したり冷めたり、といった人間の感情に近い音楽表現をありのままに聴かせてくれます。きっとボッケリーニ自身が相当な情熱家で気分屋だったんだろうなぁ~と想像してしまいます。一方のハイドンは円熟期の音楽を除けばほとんどが朴訥で理性的です。音を構築することで高揚感を表したり悲壮感を醸したりしますが、気分は安定してます。そしてもっぱら相手を楽しませるばかりで自らの感情は抑制されているかのように思えます。

 そこでこのニックネームを聞けば、女と男の違いに似たイメージをまず持ってしまいます。女と男のイメージについては以前私が駄文を書いてます。ニュアンスわかりますかねぇ。そして形式も語法も似通った古典派という時代にあって、よく聴けばこれほど対極の音楽を創ってくれている二人の大音楽家に、ただただ感心してしまうのです。

 私がボッケリーニに惹かれるのは、女性への憧れ、つまり自分に正直に、そしてたくましく生きる人への憧れからなのか、ただのオンナ好きなのか(笑)・・・・まあ百聞は一見にしかず、Wikiのボッケリーニでその音楽が聴けますので、ご存じない方は一度お聴きください。(このmidi作った人、ヴァイオリン弾きながら後はシンセで一人五重奏してます!!)

 ちなみにモーツァルトはこの二人のちょうど中間にいる感じです。女でも男でもない・・・・ってことで子供、もしくは神様(天使)っぽいですかね。

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ディッタースドルフって・・・・

 最近、夜寝るときはいつもパソコンでクラシック音楽を聴きながら布団に入るという習慣が身についています。で、いつの間にか寝てしまい、朝5時頃、パソコンの体に悪そうな電磁波?の音に目が覚めるという毎日です。昔のミニコンポはあるのですが、CD聴くのもパソコンが身近で便利です。CDはここ何年も買っていません。昔買ったCDをようやくじっくり聴ける環境になったって事でしょうね。

 カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフという長ったらしい名前の作曲家は、私の大好きなやはり古典派時代の人物で、ハイドンやモーツァルトとも一緒に弦楽四重奏曲を弾く仲だったそうです。この人、生前の絶頂期はハイドンに劣らぬ人気者でしたが、亡くなる頃にはご多分にもれず落ちぶれて、ボヘミアの片田舎で寂しく暮らしていたそうです。死の前年に何と自叙伝を書いたらしいのですが、没落中に自叙伝というのも何か痛々しいですね。

 音楽は多岐にわたっていて大量と言うことですが、今CDで聞けるのはそのうちほんのわずかです。その中で私は何曲かの交響曲と有名なコントラバス協奏曲、弦楽四重奏曲あたりを持ってますが、正直あまり真剣に聴いた事がありませんでした。と言うのも古典派時代はハイドン、モーツァルト、そして私の中ではボッケリーニ以外はワンランク落ちる二流というイメージが先行してしまっているので、買っても興味本位、聞き流す程度だったわけです。

 さて、ほぼ初めて真剣に(笑)交響曲を聴いてみました。うーむ、この人、ハイドンとモーツァルトを足して割ったような音楽。色んな楽想がかなり自由に広がっていくんですが、一応力強い要素も持ってて、ドイツ系の音楽だなと思わせます。ただしモーツァルトのような品位もハイドンのような構成力も持ち合わせてない感じですね。これっていう決め手に欠けてる気がします。いや~私のような門外漢の音痴にそんなこと言われるのも本人にはさぞ心外でしょうがね(笑)

 まあ偉そうなことさらに言わせて貰えば、それでも楽しめる音楽であります。例のブルネッティを始めカンビーニ、クレメンティ、ヴァンハル、コジェルフ、バッハの息子たち、ハイドンの弟などの同時期のライヴァルたちの音楽も含め、それぞれに個性がありますね。そしてそれらを聴けば聴くほど、同時にやはり三巨匠(ハイドン、モーツァルト、ボッケリーニ)って天才だなぁ、と思わせてもくれます。あら、結局は引き立て役かい・・・・ディッタースさん御免なさい。

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KOMUROって・・・・

 仕事の話は今回やめときます・・・・正直追い詰められてますけど(笑)

 さて、昨日は世界中が注目したオバマ大統領就任で、私も運良く駅前で号外貰っちゃいました。これにあやかり私自身もチェンジ!と行きたいところです。が、「登る日があれば沈む日もある」と申しましょうか、本日のタイトル、つまり、世界の小●哲哉の初公判も昨日あったんですね。私と小●というと、音楽ジャンル的には殆ど繋がりがありませんが、ちょうどカメラ屋のCDコーナーで働いていたときにまさに絶頂だったのが小●ファミリーだったわけで、この人のおかげで私も少しは稼がせてもらったことになります。

 にもかかわらず、初公判の詳細記事を読むと実に生々しい自分勝手な陳述で、こりゃ本当に世間知らずのオッサンだったんだなって、あきれてしまいます。あのモーツァルトでさえ、ここまでアホじゃなかったでしょうね(笑)あれだけ稼いでおいて、それ以上に使っちゃうんですから!しかも破産確実な状況でもなお散財してるあたり、まあ常人の感覚ではないですよね。

 常人でないといえば、その女遍歴も相当なもの。手当たり次第に手を出してたんじゃないかと想像してしまいます。3度の結婚のうち、前妻の吉●麻美に至っては子供が生まれてすぐの離婚なんて父親としてもあまりに無責任。その上払えもしない慰謝料を自らが提示するあたり、勘違い振りが痛すぎる・・・・何の恨みもないんですが、あまりのボンボンぶりにムカつきます。

 まあ、そんなことより、吉●麻美といえば「dos」、そして「dos」といえば西●妙子。西●妙子ってアイドル時代を含めて相当可愛かったのに一世風靡とはいきませんでしたね・・・・きっと小●のことだから最初は西●に言い寄ったんじゃないかと邪推してしまうんですが・・・・もしや売れなかったのは西●に断られた小●の仕業?なんてそこまで妄想してしまいそうです。

 って、本当にどうでもいいネタだなぁ(汗)・・・・

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モーツァルトって・・・・

 ボッケリーニ、ハイドンと書いたので、ここはモーツァルトを書かずにはいられない。という訳で、「音楽」カテゴリーを新たに設けてそれ関係をまとめてみました。

 で、モーツァルトですね。私、若い頃からこの人の音楽、実は嫌ってました。モーツァルトの特徴としてまず感じるのは「メロディー単独での親しみ安さの欠如」なんです。例えば一度聞けば耳に残るメロディーってありますよね。言わずと知れたベートーヴェンの「運命」とかチャイコフスキーの「白鳥の湖」とか・・・・モーツァルトの場合、サラサラ~と音楽が流れていって、さて、思い出せない。さっきのメロディーが。ですからアンチモーツァルトはその音楽を「全部同じに聴こえる」と言います。

 実はハイドンは耳に残る音楽を創ってくれています。音楽通ではない凡人にとってはハイドンの方が聴いてて楽しいと感じるはずです。ハイドンは大衆の音楽感をよく理解していたと言えます。その上で、玄人も納得させる音楽創りをする、さすが大人なんですね。ではモーツァルトはっていうと、まさにひたすらわが道を行くって感じですかね。だからモーツァルトは大衆に理解されず、寂しい晩年を送った訳です。

 ところが40歳を超えてからモーツァルトを聴くと、モーツァルトがほんの子供の時に創った習作でさえ、美しいなぁ~と惚れ惚れします。スゥ~と音楽が心に沁みるんですね。何というか、わざとらしさがないというか、考えた跡がないというか、本当に天才がさっと創った感じがします。そこにはモーツァルト個人の人柄とか思いとか主張とかそんなものは何一つ出てきません。本当に素直に「聴くための音楽」なんですね。そしてその殆どが長調の曲であるにも関わらす、あまりの美しさに涙が浮かぶ瞬間があるのです。ゾッとする瞬間が・・・・

 さて、モーツァルトを思いながら、ボッケリーニを聴いてみる。ボッケリーニはモーツァルトより良くも悪くも「くどい」ですね。より人間味があるというか・・・・ただし自分の音楽にこだわり続け、晩年は寂しかった点ではよく似ていますが・・・・

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ハイドンって・・・・

 「バッハ、ハイドン、親子どん」ってご存知でしょうか?笑福亭仁鶴師匠がハイドン姿で登場するCMです。そう、ボンカレーの姉妹品です。懐かしい人はかなりの年配者ですね。

 ボッケリーニヲタクである私にとってハイドンはまさに神であり、ボッケリーニが月ならハイドンは太陽といった存在でしょうか・・・・男らしく、紳士で大人でユーモアがあって、とにかく大御所の風格を感じさせます。ハイドンの音楽はどれも完成度が高く、一定の深みがあります。モーツァルトのようなゾッとする瞬間はないかもしれませんが、その代わり安定感があるのです。これはハイドンの人柄からにじみ出たものでしょうね。

 実際、古典派の時代はハイドンに始まりハイドンに終わったといっても過言ではなく、モーツァルトはハイドンの創作期間にすっぽりと入る生涯でしたし、ベートーヴェンはハイドンから脱却することでロマン派の扉を開きます。ボッケリーニ以下、同時代の音楽家は全員(天邪鬼のモーツァルトも含めて)ハイドンを尊敬し、ハイドンを模倣していました。「ハイドン夫人」というボッケリーニのニックネームも本人にとっては実に光栄なことだったでしょう。事実ボッケリーニはハイドンにファンレターを出すほどでした。

 そんなに偉大なハイドンですがやはり弱点がありました・・・・それは、妻が悪妻であったことです。ハイドンより年上で醜く家事が苦手で音楽への理解がまるでなかったといいます。妻はハイドンがせっせと書いた楽譜を鍋敷きにしたともいわれています。結局、本妻との間に子供はなかったといいます。その代わり愛人との子はいましたが・・・・まあ、早々に愛人を囲ってしまう辺りはさすがハイドンですね。

 ボッケリーニと比べ、ハイドンはいわゆる処世術にも長けていました。オーストリア帝国の大富豪エステルハーツィ候という最高のパトロンを得ますし、楽団員からもパパと呼ばれるほど信望を集めていました。有名な告別交響曲では、楽団員の気持ちを無視し故郷に帰らない候を音楽で諌めるという技まで披露します。前述のド、シ、ド、シ事件のボッケリーニとは大違いです。

 憧れるなぁハイドン、恐妻家の点も含めて(笑)・・・・でも捨てられないボッケリーニ。そしてハチャメチャなモーツァルト・・・・いや~御免なさい、クラネタ続きで(笑)・・・・

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ブルネッティって・・・・

 またまたご無沙汰でした・・・・ってなんか書き出しがいつも同じだなぁ。いつブログ辞めようって思いながら続けてしまう・・・・で、仕事の不満、ちょっと書くのも辛くなってきてます。なので、今回は、音楽ネタでいきます。

 私のHN「ボッケリーニ」については以前一度触れていますが、その続編を少し・・・・世の中には「超天敵」っていたりします。ライバルとはちょっと違って、一方的に苦手って言うか、敵わないっていうか・・・・例えば「義経と頼朝」「トムとジェリー」「井上順と堺正章(解りづらい~)」・・・・ま、そんな関係として「ボッケリーニとブルネッティ」もあった訳です。

 ボッケリーニはもともとヨーロッパを旅しながら自分の作曲でチェロを演奏し、超売れっ子だったんですが、ある時、スペインの王様(カルロス3世)が自分を呼んでると聞いて喜んでスペインに渡りました。この時恐らく自分は最高位のカペルマイスター(宮廷楽長)になれると思ったんでしょうが、その地位にはブルネッティという1歳年下の同国人がいた訳で・・・・でも所詮ブルネッティは無名、有名人の自分よりあきらかに格下、ま、すぐに自分が取って代わると思ったに違いありません。

 ところがブルネッティは王様や皇子(後のカルロス4世)の信頼を一身に集めていて代わる気配はありません。「音楽の才能、知名度では私の方が上なのに」と思ってみても、選ぶのは王家。まあ、国王も皇子も音楽のセンスは三流、才能を見抜けない人達だという苛立ちも生まれたかもしれません。そうなると益々ギクシャクします。

 ある日皇子が珍しくボッケリーニを宮廷に招き彼の作った曲を合奏する機会を作りました。ところが主役のはずの皇子のパートがドとシの繰り返しばかりなので、もともと粗野な皇子は怒り始めます。まあここで普通の大人なら相手は大事なご主人候補ですからすぐに詫びて別の曲をってな感じでしょうが、KYなボッケリーニにはプライドの方が上でした。「もう少し音楽の勉強してから意見してください」的な返しをついしてしまうのです。

 この話を聞いたブルネッティ、きっと内心ほっとしたでしょう。ボッケリーニの才能は自分以上であることは解っていたでしょうし、皇子がボッケリーニの音楽を気に入ったとしたら自分の立場が危うくなります。そこでその話を聞くや否や、ド、シ、ド、シのフレーズを入れた交響曲を作り、皇子に聞かせます。題名は「イル・マニャテコ(奇妙な癖のある人)」・・・・そうボッケリーニを音楽で槍玉に挙げた訳です。そしてこの曲を聴くたび皇子はその時の腹立ちを思い出したでしょう。

 「イル・マニャテコ」は聴いたことありませんが、ブルネッティの他の交響曲、聴いた感想としては、ボッケリーニよりずっと平易で解りやすい音楽でした。まあ、ハイドンの亜流というか、パロディというか、決して一流の持つ琴線に触れる音楽ではありませんが、その気楽さから、さほど音楽通ではない王家にはこっちの方が受けたのかもと思いました。音楽の才能では及ばなくても処世術で圧勝する・・・・それがブルネッティの身上だったんでしょうね。

 で、何が言いたいのかというと・・・・処世術ですよ、ボッケリーニ同様自分にも足りないのものは(笑)

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約束って・・・・

 いやいや、今日は私の誕生日でした。43歳・・・・もう、これくらいになると本当に歳なんてどうでも良いですね。ちょっと嬉しかったのは、さっき長男が折り紙で作った「フシギバナ」をプレゼントしてくれたことです。これ、奴の大好きなポケモンの一種です。それが私の誕生日とどう関係あるかは置いといて、まあ、嬉しいってことにしましょう(笑)

 さて、約束?の宅建、やはり今年は見送ることにしました。勉強ができない中で受けたところで受かる保障はまったく無いし、受からないなら何より試験代がもったいない。お金がね。今の状態じゃね。という訳で、来年は必ず受けます。行き帰りの電車の中で気が向いた日にはテキスト読みます。その頃には多少自信ができてる気がしますので。

 「約束」といえば、ガラッとネタ替えますが、大御所、雪村いづみの持ち歌に、この曲名があるのをご存知でしょうか?渡辺徹の歌ではありませんよ。最初聞いたとき、背筋に鳥肌が立つほどの衝撃がありました。反戦のメッセージソングですが、雪村先生の熱唱によりまるで芝居を見たような気持ちになります。まあ、内容は実際聞いてみてください。ユーチューブにありますから(本当は若い頃の録音の方が迫力あるのですが、最近の動画でも十分感動できます・・・・ステレオ版の方がお勧めです)

 泣けるメッセージソングでは他に有名な、さだまさしの「償い」や少年合唱曲「チコタン」などがやはりユーチューブで聞くことができます。著作権の問題などあるんでしょうが、ともかくありがたい話です・・・・って、誕生日に何でこんな話題なんでしょ(汗) 

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永井龍雲って・・・・

 この名前、ご存知でしょうか?知ってる人はかなりの音楽通ですね・・・・いわゆるニューミュージックと言われた時代のシンガーソングライターです。時代的には、松山千春とほぼ同じ、少し後に長渕剛が出てきます。確か「北の松山、南の龍雲・・・・」なんて言われてた気がしますが(永井の故郷は福岡)、私と同郷という事もあって、恥ずかしながら、一時ファンクラブにも入ってました(笑)。

 この人こそ、私の原点、そう「後ろ向き美学」を植えつけてくれた師匠と言うべきでしょうか。不条理になすすべなく自慰する姿勢がたまりません。あまりの暗さに人気が続かず(ご本人さんゴメンナサイ)、今はライブ中心で活動されているようです。代表作はアルバム「龍雲ファースト」でしょうか。で、なんたって、このアルバムのB面1曲目が堪らないんです・・・・「空振りの一日」ですよ!歌詞も最高なので、こっそり書きます(著作権侵害??)

 賑やかな雑踏の中を、新聞片手にすり抜ける~

 仕事を探して歩く、這いずり回る野良犬のように~

 時折横殴りの風が、ツマラナイやつだ!お前はと~

 ボクの頭を小突き、通り過ぎる~

 橋の欄干にもたれて、空振りの一日に、ため息つく~♪

 ・・・・転職活動続けてる私は最近気がつくとこの歌口ずさんでます。この他にも「素面酒」とか「二人の出発」とかまるで演歌ばりの曲が入ってます。その後「道標ない旅」で全国的にヒットしますがやはり龍雲の本質は「空振りの一日」でしょう。

 永井龍雲とボッケリーニ・・・・同質感が堪らないです。

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ボッケリーニって・・・・

 私がHNとして使っているボッケリーニというのは、イタリア人の名前ですが、チューリップの銘柄ではなく、クラシックの作曲家なんです。昔、根暗な青春時代、クラシックに嵌ったことがあって、その中でも、マイナーな作曲家としてボッケリーニを追いかけてたんです。

 え~っと、興味のない方はごめんなさいね。クラシック音楽はいくつかの時代に分けられるんですが、古典派というまさにクラシック黄金期には、モーツァルト、ベートーベン、ハイドンっていう神様級の作曲家がいたんですが、ちょうど彼らと同時代に活躍した人なんです。いや~ライバルが強すぎますね。で、我がボッケリーニさん、一時売れてた時期もあったんですが、晩年は家族に先立たれ、本人の作風も飽きられて忘れ去られ、哀れな最期だったようです。

 曲調は情緒的とでも言いましょうか?唯一有名なメヌエットがその音楽性を最もよく表していますが、なんだかそういう儚い人物に惹かれてしまう癖が私にはあります。政治家なら劉少奇、作家なら山田美妙、俳優ならモンゴメリー・クリフト、武将なら斎藤義龍、お笑いならせんだみつお・・・・一度きりの頂点の美学とでも申しましょうか。

 どこか偏屈で天邪鬼なところがあるんでしょうね、私の中に。そして世渡りが不器用だったと言われているボッケリーニに自分を投影しているのかも。もっともここ何年もまともに音楽聞いてないですけど・・・・ルイージ・ボッケリーニの音楽、暇があったらもう一度聴いてみようかな、じっくりと・・・・味わい深いですよ~~(笑)

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   ←このノホホンとした顔立ち・・・・悪人ではないでしょう(笑)             

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